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西南隅櫓や多聞櫓

明治維新後、14代藩主の徳川慶勝は新政府に対して、名古屋城の破却と金鯱の献上を申し出た。しかしドイツの公使マックス・フォン・ブラントと陸軍第四局長代理の中村重遠工兵大佐の訴えにより、山縣有朋が城郭の保存を決定。このとき、天守は本丸御殿とともに保存された。1872年(明治5年)東京鎮台第三分営が城内に置..
update:2009年08月23日
【ことわざ探検】
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